ばかもの
著 者:絲山秋子
出版社:新潮文庫
発行日:2010年10月01日
内容(裏表紙より引用): 高崎で気ままな大学生活を送るヒデは、勝気な年上女性・額子に夢中だ。だが突然、結婚を決意した彼女に捨てられてしまう。何とか大学を卒業し就職するが、ヒデはいつしかアルコール依存症になり、周囲から孤立。一方、額子も不慮の事故で大怪我を負い、離婚を経験する。全てを喪失し絶望の果て、男女は再会する。長い歳月を経て、ようやく二人にも静謐な時間が流れはじめる。傑作恋愛長編。
所感:
※本日「痘痕もえくぼ」度(好きなものは過剰に良く思える度数)非常に高めです。
あぁ。。。
もう。。。
好き。
すんごい、好き。
大声で叫びたくなるくらい、好き。
何度も何度も言っているけれど、わたしは絲山さんが大好きだ。
「琴線に触れる」ってのはこういうことをいうんだろうな、
って思うほど彼女が紡ぐ文章に魅了されまくる。
なぜだろう。
何冊も読んでいるけれど、未だにわからない。
きっとこれからもわからないだろうとは思う。
ただ言えるのは、彼女の作品がすごく好きだということ。
気ままな学生生活を送るヒデは年上の額子に夢中。
ツンデレの「ツン」しかない額子はヒデを翻弄する。
そして時折、ヒデに対してこう言う――「ばかもの」
しかしある日、ヒデは額子に「結婚するんだ、私」と唐突に振られてしまう。
夜の公園の、ケヤキの木に後ろ手に縛られて。
しかもボクサーパンツを膝まで下ろされた状態で。
結局「想像上の人物」なる存在が現れて、
ヒデは通報されずに済むのだけれど。
どうにか大学を卒業して就職を果たしたヒデ。
しかし彼はいつしかアルコール依存症に陥り、
友だちも彼女も失ってしまう。
普通の生活に戻ろうと治療を受け、もがくヒデ。
片手を失い、夫も失った額子。
それぞれ絶望を味わったのちに再会したふたりに訪れたのは、穏やかな時間だった…。
読み始めから、いきなりの性描写。
ちょっとエロい…というか、女子目線ではない感じ。
ベッドシーン(と呼ぶほどドラマチックなものじゃないんだけれど)が
ヒデの視点で語られているのだ。
わたしは(一応これでも)女性だから、
ここのところのヒデのもどかしさ(?)は想像するしかできないのだけれど、
男性が読まれたら違和感はないのかしらん?
と、そこのところをちょっと知りたい。
女性が男性視点の性描写をする。
これってちょっと勇気とスキルと情報がいることだと思う。
絲山作品の例に漏れず、
本書に登場するキャラの多くは色んな意味で破綻している。
自由奔放すぎる額子。
アルコール依存症のヒデ。
他にも宗教にハマってしまう女の子もいる。
ひとりひとりのキャラクターは人としてどうなのよ?!
と正論で突っ込みたいところだらけだ。
だけど…。
そのキャラのひとりひとりを不思議と愛しく感じてしまう自分がいる。
そこが絲山作品の不思議な魅力のひとつであると思う。
さて、冒頭に書いたあらすじに一点、非現実的な単語が登場するのにお気付きだろうか。
ピンチのヒデを助けてくれた…「想像上の人物」という存在だ。
この「想像上の人物」は、ヒデの脳内にのみ存在する。
こういうキャラが登場する作品では多くの場合、
この非現実的かつ非科学的存在はこれでもかっていうほど登場人物をアシストする。
ハッピーエンドに向けて、全身全霊、全力をかけて導いてくれる。
しかし絲山作品ではその非現実的かつ非科学的存在は、それほど親切ではない。
下半身を露出したまま木に縛られて身動きが取れなくなっているときは助けてくれても、
ヒデがアルコール依存症で苦しんでいるときは知らん顔。
友人や彼女がヒデに愛想をつかしても知らんぷり。
その影さえ見せない。
こういうところが、面白いなーって思う
。全能の神を登場させるのかと思えば、そうではない。
なぜ至るところにあるピンチに「想像上の人物」を登場させないのか。
それは、ヒデがラストあたりでひとり吐き出す一文に理由があるようだ。
俺は今、想像上の人物を必要としていないのかもしれない。
このあたりの感じが、うまく言えないのだけれど、とっても好きだと思う。
結局のところ、絲山さんが好きだってことしか言ってないよね、わたし。
痘痕もえくぼ。恋は盲目。絲山信者。
これはこれでいいということで。