雪が降る
著 者:藤原伊織
出版社:講談社文庫
初 版:2001年06月15日
内容(表紙より引用): 母を殺したのは、志村さん、あなたですね。少年から届いた短いメールが男の封印された記憶をよみがえらせた。若い青春の日々と灰色の現在が交錯するとき放たれた一瞬の光芒をとらえた表題作をはじめ、取りかえようのない過去を抱えて生きるほかない人生の真実をあざやかに浮かびあがらせた、珠玉の6篇。
所感: みなさんにおススメいただく『テロリストのパラソル』を
早い段階で挫折したまま。
いつになったら読む気になれるのか。
「いおりん」を読んで感じるのは、
主人公がちょっと駄目な男性(中年多し)だなぁ…ってこと。
これまでに読んだ
『ダナエ』でも
『遊戯』でも、
やっぱり主人公の男性はちょっと駄目駄目だった。
しかし、ただ駄目じゃないところが「いおりん」流。
その駄目駄目な男性主人公がそろいもそろってカッコイイ。
でもってちょっと弱い。
「弱い」と言っても世の中にはいろいろな「弱さ」がある。
ここで間違えてはいけないのだが、
「弱い=悪い」ではない。
そして「弱い=かっこ悪い」でもない。
「いおりん」作品の主人公が持つのは、
「かっこよさ」を補完するための「弱さ」である。
「弱さ」があってこその「かっこよさ」。
そういう男性を描かせたらいおりんは一流だ。
弱さをもったかっこいい人たちはもちろんそのままかっこいいのだけれど、
同時に非常に人間らしい。
わたしは「いおり]ん」が描く人間らしい登場人物たちが大好きだ。
「いおりん」作品に対しては、
「ハードボイルド」という言葉が頻繁に用いられる。
しかしわたしにはいまひとつピンとこない。
Wikipediaによるとハードボイルドとは
「感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す言葉となる。文芸用語としては、反道徳的・暴力的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいい、」
とある。
この説明でハードボイルの意味するところをおぼろげに捉えることはできる。
しかしその意味を「いおりん」作品に重ねてみると、やはり、しっくりこない。
本作に収められている短編の中にも
暴力的な内容が含まれるものもあるし、
反道徳的な内容を含んでいるものもある。
しかし主人公は冷酷非情ではないし、
感傷や感情にも流される。
そして結構いろんなところで妥協しているんじゃない?!
と思える人物も主役を張っている。
ということは…
やっぱりハードボイルドではないんじゃ…・?!
とそんな問答をひとり繰り返してみたのだが、
よく考えてみれば「ハードボイルド」の定義も
個々人の主観の上に成り立っているのだから、
そもそもが曖昧なのだ、と根本的なことに気づく。
もちろん、本を読んだだけで
そんなどうでもいいことを考えている
自分の阿呆さ加減には目をつむることにする。
とにかく、わたしの中の「いおりん」作品のイメージは
ハードボイルドではなく、ちょっと駄目な男性のお話。
しかもその駄目な男性は弱くって、かっこいい。
「わたしはね、人魚なのよ」彼女はそういった。
ぼくはそれまで人魚に知り合いはいなかった。会ったこともない。だから彼女の言い分が正しいのか、そうでないのか、判断がつきかねた。 (『トマト』冒頭より)
いきなり「わたしはね、人魚なのよ」と大胆な告白されても
「おいおいおい」と突っ込まないところがかっこいい。
そして
「彼女の言い分が正しいのか、そうでないのか」と考えるあたりがちょっと駄目。
でもやっぱりかっこいい。
これはわたしの藤原伊織に対するイメージそのものでもある。
『雪が降る』収録作品 ・台風
・雪が降る
・銀の塩
・トマト
・紅の樹
・ダリアの夏